2012-09-09

吐き出し終わることなんてあるの?

もう、遠出は本当に体にこたえる。近場でもつらいけれど、
千葉県となると、往復だけで二時間はゆうに越えるし、
本編も3時間越えると、半日以上になってしまう。
おまけに、今変換が馬鹿になってて、思った文字がすぐ出てこないから、
余計に腹が立ってくる。

よかったはよかったのだけど、却ってもういいやと言う気になってしまった。
これ以上馬鹿なサイクルを続けないで、もう終わりにしてしまった方がいいやと。
そんなことを人にでも言おうものなら、
そんなことなら、行かない方がよっぽどましだというおしかりを受けるのだろう。
それはちょっと違うのだ。今の状態だと説明しきれないけれど、
ある一つのことをおこなった時に、全く異なる性質のアウトプットが生まれることは、
決しておかしなことではないのだ。

さて、今日をまた振り返ると、休みの曜日は間違えるし、
コーヒーはいつの間にカップからこぼれていて服にかけるし、
いくつかのタイミングをうまく見計らい、調整するという、
仕事でも嫌なのに(それどころか、あまりに向いてなくて、それでエネルギーをほぼ消耗してしまう)、休日にまでやって本当にへとへとだ。
実際にそこまで進展している訳でもないのだけれど、
とりあえず採点条件だけクリアできればいいと、低い志だけれども、
今の自分にしてはかなりがんばって行動したわけだ。
その残りを明日の午前中(今日の失敗の尻拭いを自分でした後)にやって、
午後結果確認しておしまいにしたい。
その先も煩雑な手続きは待っている訳だけど、
後はお金で解決して誰かにやらせるという考えも頭には浮かんでいる。

と、ここまでやったのにもかかわらず、
最終的には(in the end)めちゃくちゃになって終わりそうな予感がする。
そうしたら、本当に何もしない方がましじゃんということになってしまう。
普通の人なら当たり前に出来ているからと言って、自分が当たり前にできる訳ではない。
一般的に○○は普通だから・・・と人に説教するのはやめた方がいい。
言われる本人だって重々承知しているはずだ。それを認識しながらも、
本人としてはどうしようもないのだ。そこで自己嫌悪、自罰的な思考が浮かび、
自分自身を執拗なまでに責め立てている。

話は変わるが、それしにしても最近話をするはめになった占い師の話し方が、
癇に障る。ちょっとしか話をした訳ではないけれど、話し終わった後は不愉快になっている。これって相性の悪い証拠ではないか。明日わざわざ出向かなければことを考えると、
気が重くなってくる(自分で予約を取っておいてなんだが)

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